投資についての考え方というコンセプトで書いてみます。
今回は、何か他のものに例えると、投資はこんなものなんじゃないかという視点で紹介します。投資に対して不安な要素がある人の心を軽くできたらよいなと思っています。
投資とは?
投資とは…なんとも哲学的な話ですが、FP嶋としては社会貢献の一種だと思っています。
お金が必要な人が投資家からお金を集める。これが投資の最大の目的だと思います。お金が必要な人は、なぜお金が必要なのか、どういった理念で仕事を進めていくのか、これまでの商売の結果は…。
そういったことを表明することで、投資家から信頼を集め、資金を投入してもらいます。
一方投資家はリスクを受け入れる代わりに、それなりの見返りを求めてお金が必要な人に分配します。経済が回っていくための資金源として機能します。
こう考えると、奨学金なんてのも投資の一種であると思えますよね。なぜなら、何らかの理由でお金がないけど勉強したいって人に対して、成績等を開示してもらって、社会に貢献できそうな人物であればお金を与えるわけですから。
反対に言えば、奨学金を貰っている人は成績や、社会貢献で受けた投資を返していく必要があります。
もう少し、拡大解釈してみましょう。
大学は学生が納付する学費で運営されていると思っている方は非常に多いと思います。それ自体は正しいのですが、国から補助金をもらっていますし、社会福祉法人と考えられるため、国の税制上優遇措置があったりと、国税で賄われている部分は非常に大きいのです。
大学教員はそういった事情から、出来るだけ社会に貢献できる学生を世に出したいので、知識の伝達に四苦八苦しながら最適な教授法を考えているのです。学生サイドから見ると試験が難しいってだけで嫌われたりしますがね。
学生も国税が投入されている以上、社会に還元可能な知識を身に着けるのは半ば義務なのですが、残念なことに学生側には税金のことなどを意識している人は微塵もいません。平気で高額な試薬や器具を毀損したりします。学費払っているから当然の権利ぐらいに思っています。
当サイトでは自分という存在自体が資産であると述べていますが、主体的に勉学に取り組まない学生は、相対的に資産価値が下がっていることに気付いてほしいものです。
少なくとも当サイトを見て大学に行こうと思った方は、大学では一心不乱に勉学に勤しんでほしいものです。
ふりが長くなってしまいましたが、言いたいことは、「教育」というものは多かれ少なかれ国のお金で賄われているということ。つまり、国に投資されたということなのです。したがって、義務教育後、自分の意志で進学し、国から税金という投資のもと教育の権利を勝ち取ったのですから、最大限勉学に取り組むのは義務だということです。
だいぶ脱線しましたが、投資とは、投資する側される側が、共に良い思いができるようでなければなりません。その為には情報開示、調査等、義務と権利をしっかり果たして、お互い納得できるようにしないといけません。
投資を受ける側は多少規則がありますが、投資する側は知識や技術を身につけなくても投資自体は出来てしまいますが、投資について勉強するということは一部義務ともいえるとFP嶋は考えております。